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Beauty of Imperfection

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Japanese world view or aesthetic centered on the acceptance of transience and imperfection. We have a word for that Wabi-Sabi in Japanese…The aesthetic is sometimes described as one of beauty that is “imperfect, impermanent, and incomplete”.It is a concept derived from the Buddhist teaching of the three marks existence, specifically imparmanencethe other two being sufferings and emptiness or absence of self nature. Characteristics of the wabi-sabi aesthetic include asymmetry, asperity(roughness or irregularity), simplicity, economy, austerity, modesty, intimacy and appreciation of the ingenuous integrity of natural objects and processes.

絵を描いていて、あまり意識はしたことがありませんが…こうゆうことって遺伝子の中に組み込まれているのでしょうか? 外国にいた頃から日本で生まれ育ったという事を自分のアイデンティティーの一部として受け入れてき、外に出ることによって客観的に日本や自分をみることが出来た時に、(それまで油彩という西洋の文化を勉強し、当時は自国の素晴らしい伝統よりも外国への憧れのほうが強かったのが事実でしたが)初めてこんなに凄い文化のある国で生まれ育ったんだと気がつき、誇りに大切にしたいと思え、理屈ではなく感覚的に日本の伝統や美術に惹かれ、帰国してから観る側として色んなものを観て触れてきました。なんとなく目に付いた下記の書物の内容は、皆さんも同様かと思いますが、頭で”知っている”事で日本国内にいるとそれが普通なので意識はしないと思いますが、日本の古来からの伝統や美術は観る側がそれなりに成熟した感性がないと感じ取ることが出来きない独特のものなのかもしれません。自分が絵を描く事については純粋に感覚だけで描いているので意識的にではないのです…私の場合。”知識として”勉強してきたわけでもないのに、(多少華道でお師匠から自然と教えていただいた部分はありますが、術習得を通してほぼ感性でやってきたことなので)、そうだと感じそのようにしてきた事が書いてありなんだか不思議。 言葉で説明することではないのですが、正方形やコンピューターで描いた綺麗な線よりも曲がっているもの、人間についても、その人の欠陥とされる部分(みんな欠陥はあると思いますが)や不完全な部分が魅力的だと感じることが多々あります。

『日本文化の特徴的な美として、ものの哀れ、数寄、幽玄、侘び、寂び、いきなどがよく取り上げられる。
これらの美の背景には、簡素、飾り気なさ、不完全、不均整、無常観、滅び、余情などの美(他の民族が必ずしも評価するとは限らない)に対する美意識がある。もちろん、日本人も他の民族と同様に、豪華、華麗、完璧、均整、隆盛、明晰の美を評価する。けれども、その一方で、それらの美に劣らず簡素、不完全、不均整、衰亡、あいまいなどの美を評価するところがある。以下、これら日本民族に特徴的である美意識について触れてみよう。
簡素、飾り気なさの美に関しては、無着色の素木(しらき)など無装飾の素材を活かした美を重んじる。たとえば、日光東照宮の陽明門の装飾を評価して、「日光を見ずして結構と言うな。」などと言う俚諺(りげん)を残す一方で、伊勢の神宮、桂離宮の簡素さ、飾り気なさを高く評価する。
ウイーンのミヒャエル広場に立つロースハウスは、1910年代にアドルフ・ロースの設計により建てられた。ところが、装飾物を一切排した建物であったため、周囲の建物群と釣り合わないとして批判され、建築中止命令まで出されたという。ロースは、1893年にアメリカのシカゴ博覧会を訪れ、日本館の「無装飾の美」に感銘を受けたという説があるという。
不完全の美に関しては、完璧・無欠の美もそれなりに評価するけれども、一面では多少の傷を含む美を評価するところがある。たとえば、徒然草の「花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。 雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。 咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ。」である。
不均整の美に関しては、左右対称の美もそれなりに評価するけれども、一面ではそれらは人工的であるとして、非対称の美を評価するところがある。たとえば、生け花は左右非対称のなかに釣り合いを保って美を作り出している。他の民族のフラワー・アレンジメントにも左右非対象は存在するけれども、生け花はそれらとはかけ離れて左右非対称である。また寺社建築についても、大陸の影響の強かった初期の四天王寺や創建法隆寺などは、左右対象の伽藍(がらん)配置であった。けれども、火災再建後の現存法隆寺は、塔、金堂を左右に並置している。
無常観、滅びの美に関しては、平家物語巻頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」の句が、その代表的なものと言えよう。
「フランダースの犬」という少年小説がある。この物語は、欧州では「負け犬の死」としか受け取られず、米国では5回映画化されたけれども、いずれもハッピーエンドに書き換えられたという。悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのか、長く謎とされて来ていた。最近になって、この物語を検証するドキュメンタリー映画が作られ、その結論は日本人の心に潜む「滅びの美学」にあるとされたという。「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけられたという。
余情の美に関しては、幽玄に関連して世阿弥の「風姿花伝」に「秘すれば花。秘せざれば花なるべからず。」とある。たとえば、俳句という世界一短い詩形は、その短さゆえにかえって語り尽くせない余情を湛える。最近では世界の各地で、「Haiku」として17音の詩が作られているという。
以上に記した他の民族が必ずしも評価するとは限らない、日本民族に特徴的な美を評価し得る能力が「いき」である。そして、その能力に欠けるのが「野暮(やぼ)」である。』

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